ヘイ・ボーイ、ヘイ・ガール『ハンナ』
ケミカル・ブラザーズ1st『さらばダスト惑星』を初めて聞いた時、荒っぽいロックビートにガツガツと裏打ちが入るリズムと、生音やサイレン音をサンプリングしたザリザリとした触感が猥雑な世界をイメージさせ、心底ヤラれてしまった。
その彼らが音楽を担当した『ハンナ』。
『つぐない』や『プライドと偏見』など、文芸臭の強い作品を手がけてきたジョー・ライト監督の新作でありながら、美少女殺人マシーンが暴れまくるアクション満載の映画になっていた。もちろん単なるアクション映画では終わらず、サブテーマを含んだ重層的な仕上がりになっている。
出生に秘密を抱え、フィンランドの山奥で殺人マシーンとして育てられた少女ハンナと父親による死屍累々のルーツ巡りというのがあらすじ。サバイバルと殺人術だけを教え込まれ、それ以外の知識は『007/ドクター・ノー』のハニー・ライダーのように百科事典からだけ。フィンランドの森と雪原以外の世界を知らない少女が、社会に触れ、父親以外の人物と出会い交流して行くカルチャーギャップが描かれる。
旅行中のアメリカ人一家とその娘ソフィーがコミックリリーフとして登場し、殺伐とした物語を彩る。サバイバルしか知らないし自意識も持てないまま育ったハンナに対し、徹底的に無駄な知識と「レズビアンになりたいの!」といった10代特有のワケのわからない願望しか持ち合わせていないソフィー。
ソフィーに言われるがままに背伸びしたアバンチュールの道連れにされるハンナが、生きるのに全く必要の無い事がらに挑戦していく様は目尻の下がる光景だ。
また前記したサブテーマが素晴らしくてボクは鑑賞中、ほとんどそちらに気を取られていた。劇中「音楽とは何か?」と問うハンナに父親は百科事典を開き「音楽:音の組み合わせで感情を表現するもの」とそっけなく取りつく島もない。まだ、音楽を聴いた事の無いハンナが、逃避行中のモロッコの川で洗濯をするおばちゃんたちの労働哀歌に聞き入るシーンはなんとも言えぬ多幸感にあふれる。
そして、ケミカル・ブラザーズによる劇伴が、かなり面白い試みに挑戦している。通常、映画音楽というと画面に映る情景や登場人物の心象を音楽で表したり補足していくような役割を担っている。歌の入っている曲であれば、その歌詞で登場人物の代弁をするなど、流れる映像のレイヤーの上に音楽のレイヤーを重ねるようなイメージだ。
ところが『ハンナ』では画面の中の環境音、雑踏や繰り返されるサイレン音など、反復される音をベースのリズムに見立て、そこに裏打ちのビートが入ってくる。さらにタイヤのきしむ音や浮浪者の奇声がアタックとして入るなど、映像と劇伴が解け合うようなイメージなのだ。
丁度、ケミカル・ブラザーズの有名な『スター・ギター』のPVのようにリズムと景色がシンクロしているような感じ。あのPVの場合は曲ありきで風景をCG加工していたワケだが、『ハンナ』の場合、映像の段取り/組み立ての段階から音楽に合わせるよう、3拍子の3拍目に大きな動きが来るように演出しているのではなかろうか?
この映像と音楽のシンクロがキメキメにポーズが決まるダンスを見るような快楽となっている。また、そういった無駄に思える演出が、そのまま社会に溢れる音楽への讃歌となっており『ハンナ』の大テーマと有機的に繋がっていくあたりも素晴らしい。
音楽好きの感想が聞いてみたい傑作。