もう少しまじめにやっておくべきだった
東京オリンピック・パラリンピックと言えば、
2020東京オリンピック・ パラリンピック公式エンブレムのデザイナーとして脚光を浴びたが 、その光は優しいものでは無かった。まず、そもそものオリ・ パラエンブレムがベルギーのデザイナーに訴えられる。 これをきっかけに過去の仕事と「パクリ元」 の一覧が作成されてしまう。
デザイン業の端っこでごはんを食べている私から見て、 論われたデザインのほとんどはパクリとは言えない。 当てこすりの言いがかりだ。
しかし「アウト」も存在していた。
ノンアルビールのシールを集めて応募すると「 佐野研二郎デザイン」のトートバッグがもらえる、 というキャンペーンで30種類あるデザイン中、 いくつかに他のデザイナーの作品やSNSにアップされたイラスト の無断使用、トレースが見つかった。
しかし「アウト」は「アウト」だ。
まず。この件を理解するには「アート・ディレクター」 という存在と仕事を知る必要があるだろう。
業界内では「AD」と約される「アート・ディレクター」。この「 ディレクター」は映画などの製作現場で言う「監督」 と同じ意味だ。
例としては『シン・エヴァンゲリオン劇場版』 が解りやすいだろう。この作品には3人の「監督」(摩砂雪、 鶴巻和哉、 前田真宏)がおり、その3人を、さらに監修する庵野秀明が「 総監督」として存在している。現場で動画の演出、 編集などを作業者に指示するのは「監督」たちで、 その仕上がりに対して、修正点や変更を決めて「監督」 たちに指示を出すのが「庵野総監督」の仕事だ。
デザインでは「アート・ディレクター」 がクライアントと打ち合わせをし、方向性や指針を決め、決定事項を「 デザイナー」に伝え、仕事を振る。 デザイナーはその指針に沿ったデザイン作業を行い「アート・ ディレクター」に確認してもらい、 取捨選択なり修正指示をもらい、デザインを完成させる。
おそらく、 トートバッグのデザインは佐野が自身の事務所所属デザイナーや外 部デザイナーなどに仕事を振り、 上がってきたデザインを佐野が監修する。 という流れがメインであっただろう。 もしかしたら幾つかは佐野自身が手がけたかもしれない。
つまり、 パクリとされるトートバッグは佐野自身の作業では無い可能 性が高い。プロのデザイナーならネットで拾った画像の無断引用ないし流用がタブーである事は周知しているので、ディレクションする佐野も上がってきたデザインの権利をイチイチ確認する事は無かっただろう。
そして、この3つのトートバッグの存在故に、他の「完全セーフ」 もアウト認定されていき、オリ・ パラエンブレムも結局は取り下げられた。
こうなると、もはや手がつけられない。 佐野が手がけた全てが批判、批難、罵詈雑言のマトとなった。 そんな炎上の中「薪」として、オリ・ パラエンブレムのプレゼン資料が「パクりだ!」 と投下され、ワイドショーなどで取り上げられた。 渋谷駅前のビル群や、空港での告知展開見本で使用した写真が、 他のサイトなどで掲載されていた写真の無断流用だと言うのだ。
アホか。
そんなのはあたりまえの話で、 その展開図やイメージ画像そのものをCMやポスターへそのまま流 用したなら完全にアウトだが「こんな感じになりますよ」 とクライアントに伝えるイメージ見本にパクりもへったくれもない 。
例えば打ち合わせ中に「だいたいこのスマホくらいの大きさです」 と持ってるiPhone出す時に、 アップルの承諾なんかいらないし、 取り出した事が発覚しても訴えられない。抵触する法が無い。 JASRACじゃあるまいし、 全ての場において権利料が発生するワケではない。
当時も同じような事を私は発信したが、あまり注目されなかった。 もちろん私自身の発信力の弱さが主な要因だろうが、 ヨダレを垂らし佐野に石を投げ続ける人々の目に留まったとしても 、私はこう言われただろう。
「こういう状況で真っ先に公の場で書くようなものじゃないです」
日本人の99.9%はバカかもしれないが、
しかし、いわゆる「日本人的」な感覚ではその忠告は「出る杭」 として忌み嫌われる。 同調圧力は日本人の特性と言ってしまって良いだろう。そして、 忠告を止める感覚は困ったことに「正義」なのだ。「自粛警察」「 マスク警察」「他県ナンバー狩り」同様に「呪い」 めいた自己陶酔を促すロマンチックな「正義」だ。
また、(収入に雲泥の格差はあるが) 同じデザイン業の私が忠告すれば「身内に甘い」 という批判に正当性があると勘違いする者も多く出現しただろう。 しかし、それでも忠告は、なされた方が良い。 後になって振り返った時、 権力にも似た大きな潮流に忠実ではない人がいた事をリマインドさ せるためにも。
私はなぜ、今になって佐野研二郎について書いているのか?
101年ほど遡って考えてみることにしよう。