サグいフォレスト・ガンプのハード・ノック・ライフ 〜奇妙な果実 ビリー・ホリデイ自伝〜

「奇妙な果実 ビリー・ホリデイ自伝」を読んだ。

 
私はブラックスプロイテーション映画に、ファンク、ソウル、ヒップホップとアメリカ黒人文化は好きなのだが、ジャズだけはほとんど通ってこなかった。
ビッグバンドのスウィングやビバップは耳に入ってくれば非常に好ましく聴こえてくるのだが、それ以上掘ってみようという気にならない。私の世代だと“ジャズ喫茶”に代表される、うるさ型の堅苦しい文化であるように刷り込まれているのは大きな要因であろう。
 
最近、黒人に対する蔑称“Nワード”について「黒人同士なら仲間という意味で気軽に使われもするが、他の人種が黒人に対して使うのは、その文脈を問わずタブー。奇妙な果実のカバーがほとんど無いのと同様」といったツイートを見かけた。
「奇妙な果実」は南部での黒人リンチを歌ったビリー・ホリデイの代表曲という話は知っていたし、歌詞だけは読んだことがあったが、当の曲自体は聴いたことが無かった。
興味が無いなりにビリー・ホリデイの名が記憶の手前側でフラフラしていたタイミングに、古本屋で「奇妙な果実 ビリー・ホリデイ自伝」を見つけた。パラパラとめくってみると「カウント・ベイシーのバンドからサイコロでツアーのギャラを巻き上げた」「見込みのある貧相な歌手にドレスを買ってやったのが後のサラ・ボーン」などなど。もはや神話のような話がめくったページ全てに載っており、ナンダコリャ!とレジへ持っていったのがきっかけである。
 
読み初めてみると、購入のきっかけになった印象はさらに強くなった。もはやサビだけが連打されるスピードコアのような人生である。
そもそも産まれから壮絶だ。ビリーが産まれた時、母親が13歳、父親が15歳という生まれついての波乱万丈エリートだ。
物心つくとレコードプレイヤーがあってジャズが聴けるという理由で娼館に押しかけてお手伝い名目で入り浸る。10歳でレイプされ、その“責任”を取らされて感化院へ送られる。出てきて改めて娼婦になり、しかし逃げ出して、ジャズ・シンガーになるのがやっと15歳である。
 
このあたりまで読んだところで改めて本書のことを調べたのだが、どうやら浪費家でいつもからっけつなビリーが当座の金を得るために、ニューヨーク・ポスト(当時はまだデマ吐きネトウヨ紙では無く、立派な東スポタブロイド紙)の記者ウィリアム・ダフティーの誘いに乗って、インタビューの口述筆記で簡単に仕上げた本だそうだ。
 
なるほど本書はタブロイド紙記者らしい極めて扇情的でドラマチックな表現、もしくはビリーのサグい言い回しがそのまま採用されたであろう猥雑な、しかし魅力に満ちた文章で綴られている。
加えてダフティーは「ファクト・チェック」はあえてしなかったと告白している。たとえば、後の研究者によるとビリーを産んだ時の両親の年齢は、父親が17歳、母親は19歳だったそうだ。
これらの理由で本書は多くの人々に、かなり否定的に捉えられているようである。ビリー本人も出来上がった本は読んでいないそうだ。
 
私は「ビリーの壮絶な人生の真実を!」といった欲求を叶えるため読み始めたワケでは無かったし、そもそも「自伝」ともなればどうしたって主観的なものになる。他人の印象と違うのはあたりまえだ。実際に起こった事象と違うとしても、むしろ主観的にどう捉えていたかの方がその人を知るには良いだろう。
記された“神話”の数々も極めて主観的であることに加え、本人がどう見られたかったか、と告白する妄想的私小説と捉えた方が良いだろう。
その前提で読み進めていくと、ラッパーの“ブラギング&ボースティング”めいた自画自賛と、妄想炸裂のロマンスに溢れていることも腑に落ちる。
 
そして何しろ読み易くて楽しいのである。
 
ジャズには詳しくないのだが、前述したカウント・ベイシーのバンドとのドサ廻りやサラ・ボーンの話。サッチモから来た手紙の結びが独特だった話。ベニー・グッドマンが自分の公演の常連だった話。などなど私でさえ知っている伝説的な名前がポンポンと出てきてビリーを褒め、称え、感心し、傅いて協力し、去っていく。おそらく私の知らないジャズ・ミュージシャンの名前も出てきているのであろう。知らない名前もゾロゾロと出てくる。
 
むろんビリー本人がそれこそ伝説的な存在なので同時代に生きたジャズ界隈の有名人なら大なり小なりの関わりはあっただろう。しかし、ビリーのボースティングはそこで止まらない。
 
【有名人編】
・店に来たオーソン・ウェルズと仲良くなってデートを重ねていたら「別れろ」という謎の電話が行く先々にかかってきて怖くなって別れた。
・車が故障したんで助けを求めたらクラーク・ゲーブルで、そのままナンパされてバーに行ったら黒人のビリーをバカにしたレイシストの男をゲーブルが電光石火で殴り倒した。
 
【アクション編】
・小学生の時にボクシングの授業があり、鼻にいいパンチを食らわせた相手の顔面に外したグローブを叩きつけ、パンツを引き裂いた。
・ドラッグを使っていた頃、ホテルに帰るタクシーの中でイヤな予感がして引き返すよう頼んだが、運転手は何を言われたのか理解できず。しょうがないので運転手を外へ突き飛ばし車を強奪。案の定静止しようと出てきた捜査官の脇をすり抜け、銃声を背に逃走。
 
【何をやらせても一級品編】
・映画で「あらゆる感情を「イエス・ミス・メリー・リー」で表す女中」役をやらされる。撮影の際、監督にダメ出しをされ「じゃぁ、どの言い方がイイ?」と23種類の違った「イエス・ミス・メリー・リー」を披露してやった。
・カフェ・ソサエティでのオーディションでチラ見した少女を採用しないという店主とケンカして採用させたのが後のヘイゼル・スコット。
 
などなどなどなど。これらは生前の千葉真一山城新伍らが得意とした、センスと景気の良いヨタ話である。つかれたウソを検証して暴くような野暮天をするよりも、素直に感心し驚いてウソに身を委ねるのが正解の、スリリングな快楽に満ちた読書体験であった。
 
そして、ようやく「奇妙な果実」を聴いたのだが、これはレコーディングされた時点で劇場などでかなりコスリまくっていたであろう、主旋律を見失いそうなほどクセの強い歌唱アレンジがされていて、カバーがムズかしいのは素人の私でも想像できる。
そして、ダイアナ・ロスニーナ・シモンといった、カバーをしてもそれなりに受け入れられそうな人々を始め。スティング、UB40、ピート・シーガーといった「ナルホドね」と思う人々。果てはコクトー・ツインズやスージーバンシーズまでもカバーしているそうである。