搾取と不遇を描いた完全無欠な娯楽作『罪人たち』
【ネタバレします】
『罪人たち』について事前に聞いていたのは「双子のギャングが故郷に戻ってクラブをオープンすると吸血鬼がやってくるホラー」という、そりゃほぼ『フロム・ダスク・ティル・ドーン』じゃないか? と思ったのだが、全然違った。
そもそも映画のジャンルすら違っていた。『罪人たち』が描いているのはアメリカで黒人たちが産んだ文化を白人たちが盗用してきた音楽の文化盗用の歴史である。
「文化盗用」というと、一番有名なのは「ロックンロールの始祖はエルビス・プレスリー」になるだろう。リトル・リチャードやチャック・ベリーが産んだ「ロックンロール」をエルビスが産んだ事にしてしまっている。
アメリカで黒人として産まれ作家活動をするイシュメール・リードはコラムで「文化盗用」について、いくつかの論考を発表している。
リードはコラムで「ロックンロールの始祖はビートルズ」という新聞評を取り上げ、呆れ怒りを隠さないが、しかし黒人“だけ”でロックが産まれ、発展したとも思っていない。つまり、文化というのはそもそもの「始祖」は存在するが、様々な他の文化と触れ、融合し、変化して、新しくなり、発展していく。とはいえ「始祖」を無視すんなよ。というのがリードの論だろう。
ロックンロールは黒人のブルースを元にカントリーなどと融合して産まれた。とよく言われている。確かにロックンロール特有の早いリズムはイギリス民謡を祖としたカントリーからの影響は少なからずあるように思う。しかし「ロックンロールの始祖」はどうひっくり返してもリトル・リチャード、チャック・ベリー、ファッツ・ドミノのどれにする? という所に落ち着くだろう。エルビスでもビル・ヘイリーでも無い、最初の最初は“ワッパラルバッパラッパンブー”だ。
リードの自作『マンボ・ジャンボ』に登場する「人々を熱狂させ踊り続けさせる病:ジェスグルー」は、黒人音楽であるラグタイムがアメリカで急激に流行った現象を報じた新聞記事の「just grow」(ジャスト・グロウ:ただただ広まる)が語源だ。そのジェスグルーは作品の終盤でフッと消えてしまう。
それはラグタイムからジャズが産まれ、ジャズが黒人、白人、黄色人種問わずに広まり、それぞれの文化と融合し変化し新しくなって、黒人だけの文化では無くなった象徴のように思える。
『罪人たち』の吸血鬼は人を襲い相手を吸血鬼化すると、その知識や言語、スキルを「共有」する。最初の吸血鬼たち(3人の白人)は、バンジョーやフィドルを弾き、イギリス民謡を歌う。その彼らが黒人ミュージシャンを襲い、彼らのスキルやリズム、コード進行などを「共有」した。
劇中の主な登場人物は、中国人移民の夫妻とアフリカからの奴隷の末裔である主人公たち。そして吸血鬼のアイリッシュ系の移民。アメリカは昔から移民の国である。他国から来た人々を取り込み発展していった国であり、音楽ももちろん様々な要素を取り込んで、今もなお複雑に進化している。
それら複雑に進化した音楽の「始祖」を突きつけるのが中盤のプリチャー・ボーイの歌うブルースだろう。
プリチャー・ボーイが歌い出すと、劇中の時代(1930年台)には無かった低いリズムが鳴り出しエレキギターの轟音と共にキラキラの衣装を着たギタリストが登場する(ブーツィかE,W&F?)。さらにスクラッチ音と共にステージにはターンテーブルとDJが現れる。ダンスフロアにはアフリカの民族ダンスを踊る一群や中国の舞踊を魅せるダンサーまで登場する。
その場にいる人々のそれぞれの発展した姿とルーツが渾然となり、その音楽の「始祖」に黒人たちが介在していたことをワンカットの中に詰め込んだ見事な場面だ。
そしてラストでは映画人であるライアン・クーグラー自身の「始祖」を開示する。
皆殺しにするつもりでやって来たKKKの男たちを、たった独りで銃火器を次々に取り出して返り討ちにする。この場面は70年台にアメリカ映画史に燦然と輝く傑作群を残した「ブラックスプロイテーション・ムービー」へのオマージュであろう。
『罪人たち』はアメリカ黒人たちの、搾取と不遇を詳らかにしつつ、完全無欠な娯楽として昇華させた傑作である。