「サンシティ」と日本

1984年。イギリスのポップ/ロックミュージシャンたちにより、興されたチャリティ・プロジェクト「バンド・エイド」に端を発し、翌年にはアメリカの「USAフォー・アフリカ」が立ち上げられ、豪華ミュージシャンたちによるチャリティ祭りが、ある種「ブーム」のように巻き起こった。日本でも森進一らが立ち上げた「じゃがいもの会」や24時間テレビ発のアリス谷村新司加山雄三の「サライ」が有名だろう。
それらの活動は基本的にアフリカの飢饉などのために無償で集まったアーティストたちが曲をリリースし、その収益を寄付するというものだ。
 
その中でも異色だったのは1985年に発表された「アーティスツ・ユナイテッド・アゲインスト・アパルトヘイト」(直訳で「アパルトヘイトに反対するアーティスト連合」)の「サンシティ」だ。
南アフリカの人種隔離政策「アパルトヘイト」に反対したアーティストたちが集まり、発表したプロテスト・ソングである。
参加ミュージシャンはU2ボノやピーター・ガブリエル、“ボス”スプリングスティーンボブ・ディランリンゴ・スターホール&オーツなどに始まり、アフリカ・バンバータやグランド・マスター・メリーメル、カーティス・ブロウ、ランDMCといったラップ勢。Pファンク総帥ジョージ・クリントンギル・スコット・ヘロンボビー・ウーマックのファンク勢。ルー・リード、ジョーイ・ラモーン、マイケル・モンローのパンク/ハードロック勢、そしてジャズ界からはハービー・ハンコックに帝王マイルス・デイビスまで参加した、不良感度の高いメンバーである。
 
 
この企画盤が異色だったのは、最終的に収益はアフリカを支援する公益信託に寄付されたが、それはあくまで「結果的」「付帯的」なもので、第一の目的は「サンシティでコンサートしない」と表明することだった。
曲のサビからして「私はサンシティでプレイしない(I ain't gonna play sun city)」である。
当時の南アフリカが「人種差別」という犯罪行為を国をあげて行っていた事や、アメリカでも黒人に対する人種差別は根強く残っていたこともあり、曲調も「バンド・エイド」や「USAフォー・アフリカ」とは違い、怒りが籠もったアップテンポなロック調である。
さらに、最終的にはカットされたが、歌詞にはサンシティでコンサートを行ったアーティスト(おそらくクイーン)を攻撃する内容もあったらしい。
 
アーティストにとってコンサートは「仕事」だ。それも、ギャラの良いサンシティでの仕事は「良い仕事」だっただろう。それでも多くのアーティストが反対したのは、腐敗した反人間的なシステムに対して、反対を唱えなければならないという「道義的責任」に他ならない。
 
腐敗した組織の元、一部富裕層のさらなる利益と娯楽のために、何百人か、ことによっては何千人か死ぬことになる、東京オリンピックに出場するアスリートたちの皆さんへ。
 
この曲が「サンシティ」です。