ドキュメンタリー映画『ブラック・ボックス・ダイアリーズ』を観る

『ブラック・ボックス・ダイアリーズ』鑑賞。

伊藤詩織の初監督作品。自著『ブラック・ボックス』と裁判をめぐる背景を自身でドキュメンタリー映画化した作品。自身に降りかかったレイプ被害を(刑事事件としては)握りつぶされた監督から見えた世界。

本作について、法的な問題提起がされているという事は知っているが、それを判断するために何を読めば良いのか解らないし、批評者が監督寄りか安倍政権寄りかで法解釈も全く違ったものになるだろうし、その正当性を判断する知識は持っていない。なので映画としての評価に終始せざるを得ない。

まず、映像表現は王道な場面が散見される。
象徴的に登場する桜。その花びらが川面を流れていく様子から幕を明ける。桜は花を咲かせるや散っていく様子から日本では特に潔さを象徴しているが、映画のラスト近くでは美しかった花びらが淀みの中で油っぽい泡にまみれ排水溝に吸い込まれていく。強いられた潔さに争い、汚泥にまみれ暗闇に吸い込まれてしまうのは監督の心象そのものであろう。
事態に暗雲が垂れ込み始めると異動中の車の車窓は明るい場所からトンネルに入り、好転の兆しを見せるとトンネルから外に出ていく。また、事態が悪い方向へ進んでいくと車窓に雨が打ちつける。
それら映像表現は、おそらく映画の「象徴性」についての講義があるとすれば、その教科書の1ページ目に書いてある、講義を進める前の前提のような、王道中の王道な表現だと言えるであろう。ただ、だからといって劣っているというワケでは無い。使い方次第では陳腐にならず力強く心象を表していく。本作では正しいタイミングで正しい見え方で使われており、心象を強く訴える見事な表現だと言えるだろう。
そもそも近年のドキュメンタリー映画でここまで明確に心象が伝わる表現が出来ている作品は多く無い。これは監督が真面目に「映像化」「映画化」に向き合った証明であろう。

被写体:監督の様子が素晴らしい。表情が多く、嬉しさや安心はニコニコと。不安や落胆は険しく。驚きは「ガビーン!」とオノマトペまで見えそうなくらい明確で、見ていて清々しい。中でも「捜査官A」との電話で「証言して欲しい」と頼む監督に対し「であれば結婚してくれという話になるでしょう?」と、「捜査官A」は突飛な提案をする。冗談とも何とも受け取りかねるその提案を、日本人らしく笑って受け流すが、次の会話へ進む狭間で「今の何???」という表情を瞬間的に見せる。そのタイミングや間は一級のコメディ映画もかくやという場面になっている。
また、欧米人のような豊かボディアクションも楽しい。
そもそも日本での公開は諦めていたのか、それとも国際的な場に相手を引き摺り出そうという思惑か、本作でのモノローグや仲間内との会話のほとんどは英語で交わされる。それも相まり豊かなボディアクションが無垢で表現が派手な英語圏の小学生を思わせ、相対的に監督を襲うレイプ被害がより重く、より醜く、立ち現れる。

本作では字幕は必要最低限でしか使用されない。話しているのが誰なのか、会っているのは/出席した会議や集会は何なのか。話される内容から伺い知れるものもあるが、明確には解らない。
ワンビンやワイズマンの作品でも字幕はほとんど、というか全く無かったりもする。見せたいのが情報や背景では無く、見えているものや交わされる会話とその空気だけだというドキュメンタリスト特有の「自我」であろう。初監督作品でこれほど力強い自我を見せつけられるのも見事と言う他無い。

音楽の使い方も白眉と言える。重苦しい時間の経過はスローで動く秒針のインサートに合わせた、低く震えるノイズ音が流れる。また、本作のテーマ曲のように聞こえてくるグロリア・ゲイナーの「I will survive」も見事だ。70年代後半のいわゆる「ディスコ・ソング」だが、その歌詞は自分を捨てて出ていった男が帰ってきたけど追い出して「私は生きていく!」と宣言するものだ。ただ「粉々になった心をかき集め」「幾晩も泣いて過ごした」「自分で自分が惨めに思えた」など、監督の心象と重なる歌詞もあり、しかもそこから「I will survive(私は生きていく!)」と朗々と歌うサビが「survive」:サバイブした人:サバイバーに繋がる選曲だ。その劇的で大仰な曲の展開が、一度は握りつぶされた事件が民事で勝訴という展開と重なり、ダイナミックかつエモーショナルに盛り上げる。

ドキュメンタリー映画の醍醐味として「奇跡的に捉えられた奇妙な現実」も映されている。
逮捕を握りつぶした刑事部長(後に警察庁長官)が走って逃げる場面。刑事部長が、走って逃げるんだよ?
安倍元首相をアジテートするおばちゃんたちの朗らかな荒っぽさ。
そして裁判所から出る監督に詰め寄る狂人。

監督ほどの衝撃的かつ屈辱的な目には遭っていないが、今の日本で、無能が服を着て歩いているような政権与党の人々や、その与党に擦り寄るウジ虫じみた人々。彼らが進める大金持ち優遇政策。などなどスーパーエゴイストな人々から、ゆっくりジワジワと理不尽な目に遭っていると自覚がある人が鑑賞すれば共感を得られるだろう。

総じて大変優れた映画だと言えるだろう。