パーソナルな物語『マトリックス レザレクションズ』

※以下、大オチについての話を書いています。未見の人はまずは鑑賞するのをオススメ。大きく毀誉褒貶がありはするものの観たところで死ぬワケじゃなし。2時間半あるので尻が痛くなる可能性はあるが、最近の映画館の椅子はよく出来ているよ。
 

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ニック・ジョナスと結婚したインド映画のスーパースタープリヤンカー・チョープラー・ジョナスも出ているよ。
 
旧『マトリックス』三部作は「ゲーム」として創作されたもので、しかも開発者はネオだったハズのトーマス・アンダーソンである。という衝撃的な幕開けで映画が始まる。
劇中。アンダーソンは『バイナリー』(二進法のことだが、つまりは「二者択一」の意味だ)というプロジェクトを進めている(しかし開発は遅れ気味)が、急遽『マトリックス』の続編を作るように命じられる。しかも、作ることはもはや決定済みでアンダーソンが参加するか否かは関係が無い。一応、前の三部作を成功させている手前、声をかけた。と告白される。つまり「ノルかそるか」の「二者択一」を迫られる。
 
これは、おそらくラナ・ウォシャウスキー自身の経験談であろう。
マトリックス』1作目はアンダーソンがネオ、そして救世主として覚醒するという終わり方で、要は全知全能の「神様」が誕生しちゃったという話だ。普通に考えれば、もはや神様になったネオに対抗できる敵は無い。もしも続きを作ったとしても、無敵のキャラクターが向かってくる敵を薙ぎ倒すだけの、スティーブン・セガール作品のような映画になるのが必然的だ。
しかし、ワーナーから続編作成を打診され、やらなければ他の監督に任せてでも新作を作ると言われたのだろう。これは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』続編でパラマウントがゼメキスらに突きつけた要求と全く一緒だ。
 
かくして。続編「リローデッド」と「レボリューションズ」が作られる。ネオの誕生は予め予測されており、マトリックス世界の中では何度も同じ「救世主」が誕生しては排斥されていた。
ただ、今回はネオに内側から破壊されたエージェント:スミスに変化が現れ、自己増殖を繰り返す「バグ」になってしまった。そこで、ネオはスミスを倒す替わりにザイオンへの攻撃をしないという約束を取り付ける。そして、スミスを倒しはしたがネオも死んでしまう。
この、劇的な革命を諦めて間をとって手打ちにするという展開は、革命を目指したウォシャウスキーたちが『マトリックス』の成功により権力側になり、そっちはそっちで色々面倒で様々な事情があることに気づいてしまった展開を投影したものともとれる。
 
さて。ともあれこれで映画『マトリックス』三部作は幕を閉じる(スピンオフのアニメやゲームも生まれたが)。
そして、作品を牽引していた「ラリー・ウォシャウスキー」に変化が訪れる。
男として生まれたラリーは女性へ。「ラナ・ウォシャウスキー」になるのである。
弟アンディも後を追うように女性「リリー・ウォシャウスキー」となり、ウォシャウスキー兄弟はウォシャウスキー姉妹になる。
その後『マッハGO!GO!GO!』の実写版やトム・ティクバとの共同監督作。NetflixのドラマシリーズなどのSF作品を発表するが、どれも『マトリックス』ほどの衝撃を観客に与えることは無かった。
 
そんな中で、マトリックスの前日譚の脚本執筆依頼が『レディ・プレイヤー1』や『フリー・ガイ』の脚本家ザック・ペンにあったそうだ。
 
となれば、この『マトリックス レザレクションズ』は、過去の続編2作がそうだったように、ラナ・ウォシャウスキー自身の物語だと捉えることが出来る。
 
新しい肉体を得たネオ:トーマス・アンダーソンは自分自身ではキアヌ・リーブスの見た目であるが、他の人からは(過去の三部作を作っていた頃のウォシャウスキーがそうだったように)冴えないオッサンの見た目をしている。そして、救世主という立場から引退し、その座をトリニティ(女性、つまりは自分だ)へ譲る。
 
元の三部作が間を取った手打ちで終わったにしても、世界規模の大革命を目指していたのに比べ、この新作が極めてパーソナルな印象に落ち着いてしまうのも、こう考えると理解しやすいだろう。