『女神の継承』がよく解る解説

※オチまで含めた話を書いているので、鑑賞済みの人向け。解説的なやつです。
 
そもそも、プロデュースを勤めたナ・ホンジン監督は自身の『哭声/コクソン』の続編として本作を着想したそうだ。となれば、本作の軸にあるのは「神の沈黙」を含んだ「信心」というテーマが浮かび上がってくる。
 
また『哭声/コクソン』を踏まえると、一般的に多くの人々が考えるような「神様」や「神の使い」が、清廉潔白で、平等で、正しくて、気分の良い存在では無いかもしれない。という前提も見えてくる。
 

●女神バヤンが割とイヤなやつ

『女神の継承』の“女神”バヤンだが、なかなかイヤな性格である。先代の巫女から今の巫女ニムへ代替わりをする際、先に通例の継承者である姉のノイへ狙いをつけ、半年もの間体調不良と生理を止めないという嫌がらせで「代替わり」の要求を知らせる。
ノイはそんなイヤな女神の巫女を継ぐのを嫌がり(そりゃそうだ)改宗してキリスト教信者となり(また、密かに正式な身代わりの儀式まで行い)、妹のニムへ「嫌がらせ」の矛先を変えさせる。
 
また、ミンの憑き物をめぐる騒動の中、ニムのバヤンへの信心が揺らいだ瞬間(映画ラストで紹介される彼女の「最後のインタビュー」直後)に彼女を見放し、死なせて(おそらく殺して)しまう。
 

●この車は赤い

ニムはミンの儀式の数日前に撮影隊に自身の信心の揺らぎを告白する。しかし、彼女はそれ以前から。おそらく巫女になってからズーっと、信心が揺らぎ続けていたのであろう。その証拠のようなものがある。
ミンの儀式を執り行う神官が「ニムの車には「この車は赤い」というステッカーが貼ってあるんだ。」と言う。その意味を問われ神官はニヤケ笑いをするだけだ。
その後すぐに登場するニムの車は、ツヤの無い黒である。
つまり彼女は「私はウソをつく」と告白をしているのだ。
オープニングすぐ。インタビューに答えるニム。おどろおどろしい声を出したり痙攣したりといった霊媒師ぜんとした儀式はしないよと笑う。しかし、ニムはインチキ宗教儀式を瞬時に見破り、観客には理解不能な儀式で超常現象にも思える事象(中が黒い卵)を起こし行方不明のミンを見つける。
女神バヤンの霊的なパワーでそれらを成し得ているように思えるが、本人はそれでもバヤンがいると心から思っていない。
インチキ儀式はフォーマットやフォーミュラに沿っていないだけかもしれない。知識として自分が知っている「正式」な儀式と違うからインチキだと判断しているだけかもしれない。
ミンを見つけたのも、タロットカードを読むような、占い的儀式に則って居場所を読んだら偶然いただけかもしれない。
ニムは女神バヤンに会うなんてのはもっての外。その存在すら実感したことが無い。それでも巫女を務める欺瞞を告白するように、真っ黒な車に「この車は赤い」とステッカーを、自嘲するように貼っているのだ。
 

●『女神の継承』とは?

マーベル作品『ソー:ラブ&サンダー』は、やせ細った男が小さな子供を連れて砂漠を彷徨う風景から始まる。男は祈りを捧げるが、砂嵐は止まず、娘は死んでしまい、生きる意味を失ってしまう。
そこへ、オアシスが現れる。男は祈りが通じたと神を実感するのだが、そこにいた神は、単に自分の狩りの成果を祝う宴のためにオアシスを作っただけだと、にべも無い。
男が現存する最後の信者なのに失っても良いのか? と聞いても、また最初からやり直すだけだと邪険にあしらう。その態度に絶望した男はネクロソードで自分が信心した神を殺し、ゴッド・ブッチャーとなり全世界の全ての神を殺す旅に出る。
 
この手の「不遜な神様」というのはあらゆる神話にさまざまな形で出てくる「定番」といって良い類の話だ。
ギリシャ神話のゼウスは女神を何人も孕ませ、人間とも子供作りまくりの大絶倫神で、神話にはゼウスの浮気エピソードが連なっている。
インド神話ガネーシャ神の誕生エピソードはシヴァ神が家にいた子供が自分の子供と知らずに首を刎ねて放り投げて、奥さんに叱られて慌てて近くにいたゾウの首を刎ねてくっつけたというものだ。
日本神話ではスサノオがイタズラで神殿にウンコしたり皮を剥いだ馬を家に放り込んだり大暴れである。
キリスト教ユダヤ教)の神様「ザ・ワン」も、信者の一人(ヨブさん)を身ぐるみ剥いだ上に家族を皆殺しにして身体中にイボまで作って、それでもまだ自分の信者でい続けるか悪魔と賭けをする。
 
神様ってどの神様もおおむねイヤなやつだしおっかないものだよね。と、リマインドする、眠い朝にキンキンと鳴る耳障りの悪い目覚ましベルの様な不快さが通奏低音的に『女神の継承』の底にあると見て良いだろう。
 
つまり『女神の継承』は、とある豪族に強い恨みのある多くの人の霊がその辺にいた悪霊や動物の霊までも取込んで強大化して、豪族の最後の血を受け継いだ娘に取り憑いてウサ晴らしを画策。対抗できるのは地元のイヤな女神だけだったが、その性格の悪さから強い依代を失い、家族まとめて死んでしまう。という話である。
 

●鍛錬された「ほん呪」システム

私自身が『女神の継承』で、最も感銘を受けたのは「本当にあった呪いのビデオ」、略称「ほん呪」システムの活用方法である。
家族を映したビデオや監視カメラなどの映像に“偶然”映った霊現象に「おわかりいただけただろうか? この悲痛な表情の顔はここで死んだ者の怨念だ、とでも、言うのだろうか?」中村義洋監督の声でナレーションが入る、人気シリーズだ。
 
『女神の継承』で使われる、定点隠しカメラにフレームインする禍々しい異形の者の見事な段取り。暗視カメラに向かってくる狂人の恐怖演出。隙間が一瞬フレームから外れ、すぐに戻ったとたん被写体が目の前にいるといったショック演出など。だいたい「ほん呪」で使われている手法である。
道路の右にいたミンが、車を切り返して左へ向いてもいる! といったショックシーン。カメラが倒れあらぬ方向に向いた先に呪物が転がっている。などなども、実に「ほん呪」している。
そもそも「モキュメンタリー」自体「ほん呪」が20年以上に渡り、今もなおブラッシュアップし続けている手法だ。
送られてきた心霊映像の裏を取る取材の中で浮かび上がる怨念や、悲しい過去をスタッフを通して描いていくもので『女神の継承』で描かれる「豪族の蛮行」や「彷徨う悪霊」「土着性の高い信仰」といった展開も「ほん呪」の常套展開だ。
 
ということで「ほん呪」オススメです。
初期は合成技術がまだ拙くて、ゾクっとくる恐ろしさが弱いけど、30番代以降は演出や技術に磨きがかかりテンポ良く楽しめる。
ただ、初期にも名作はあり、特に坂本一雪監督時代の「頭のおかしな老人」はレトリックも含めた見事な作品である。
 
……もちろん全部フィクションだよ!