『ZERO』鑑賞。
ちなみに、スペース・ボックスさんは、 月に1度ほどのペースでインド本国とほぼ時差無く新作上映をして いるので、興味のある方は上映会参加をおすすめ。 日本の上映と違い、インターミッションでは休憩が入り、 ロビーではサモサや甘いおやつ、チャイなどが販売され、 インド人たちの気楽な上映スタイル、鑑賞態度、 スター登場の盛り上がりなどが、 ややソフィスティケイトされた形で体感できる。
さて。シャー・ルク・カーン:SRKの新作は当然のように「 メロドラマ」だ。
日本ではお昼の連続ドラマが「メロドラマ」 と称されていたことで「叙情的な恋愛モノで、 決まり切った常套展開の薄っぺらいドラマ」 という印象があるかもしれない。
たいがい、惹かれ合う2人が立場や地位の違いから引き裂かれる。 という展開で、 その障害を乗り越えてようやく愛が成就しそうになると次の障害が やってくる。というのがパターンだ。
そのSRKの新作でメロドラマの『ZERO』だが、いわゆる「 決まり切った常套展開」は無い。それどころか『ZERO』 に似た作品すら無い。
あらすじは「資産家だが学の無い陽気で軽薄な小人症の男バウアーと、脳性麻痺で運動障害のある宇宙工学博士の女性アーフィヤーの、多難な恋」だ。
この時点で凡百のメロドラマとは一線を画しているのが解るだろう。しかし、一線を画すのはあらすじだけでは無い。
バウアーは星を自在に操れる超能力も持ちつつ、ダンスコンテスト出場を目指しムンバイへ向かう。アーフィヤーはアメリカで宇宙計画に参加しチンパンジーを火星探査に向かわせるプロジェクトを立ち上げている。そこへ、最近イケメン俳優にフラれてヤケになっているバウアー憧れの女優バビータが現れる。
まず、本作は西部劇として幕を開ける。
そして、バウアーとアーフィヤーのロマンティックコメディへ移り、中盤になるとバビータの登場と共に大転換をし芸能業界内幕モノ的な展開をしていく。さらに終盤はドリフト的横滑りでジャンルを変えて物語が終わる。
しかし、その芯にあるのはメロドラマである。
観客は2時間45分の本作で、様々なジャンルを横断しながら、惹かれ合う2人がなかなか結ばれない様子を息つく間も与えられずに見守ることを余儀なくされる。
なんと豊かな映画であろうか。
私は全編に渡り呆気にとられ続け、そのまま涙を流してエンドロールを眺めるハメになった。