昨晩。深夜遅く。寝室で寝ているとドアが開いてリビングの光のまぶしさで目を覚ましてしまった。ドアを開けたのは愛猫
オコエ。寝室には入らず入口あたりで私をジッと見つめていた。「なあに?」と聞くとニャー!とひと鳴きして去っていった。 ……なんなのよ?
もともと特定の誰かに飼われていない
地域猫で、外を
フラフラしているところを保護されたので明確な誕生日などは解ら
ない。里親さんによると約1歳ということだった。
譲渡会後のトライアウトが済んで、正式に我が家に住むことになったのが12月。覚えやすいので24日のクリスマス・イブを誕生日にして保険に加入した。
なので、毎年クリスマス・イブに保険会社からバースデーカードが届く、我が家にしてはメルヘンな待遇の子になってしまった。
トライアウト中は里親さんから借りた2階建てケージの2階の寝床からあまり出ず。トイレとごはんで1階へ降りてくるだけの臆病ネコだった。
なんとか一緒に遊ぼうとごはんを文字通りエサに誘い出すなどした結果、寝る以外の間は部屋の中をウロウロする程度に慣れてくれた。
正式に我が家の子となってからも、なかなか「懐く」と表現できるような関係にはなれなかった。
撫でようと手を伸ばすと耳を伏せ、肩をすぼませ、警戒するような目つきになった。
多くのネコがするような、箱に入ったり、狭い場所に忍び込むといった逃げ場の無くなることは今でもしない。
携帯やコップをテーブルに置く時の「コツン」という音に敏感に反応し、咳き込む音にはどれだけダラダラ寝ていても飛び起きて様子を伺う。
臆病な
オコエとのコミュニケーションは、用心深く機嫌を伺って、
時にゴロゴロと喉を鳴らさせ、
時にハードかつディープに噛みつかれる。チョイチョイ割れる薄氷を歩くようなものだ。
2年半ほど経過した頃、
ようやくかいたあぐらの上に乗ってひっくり返って寝てみたり、
スマホを見ていると頭突きで主張し甘えてくるようになった。
私の周りをグルグルまわり目の前で止まったかと思うと、そのまま真横にドスンと横たわり、伸びをしてゴロゴロ転がる。私のそばでリラックスしたようで嬉しい瞬間だ。
それでもまだ抱っこには強固な警戒心を剥き出しにする。
私も不要な抱っこはしない。爪を切る準備をしていると部屋の隅やテーブルの下に隠れてしまうので、強制的に引っ張り出す時くらいだ。まぁ、それもあって抱っこのハードルは高止まりしているのかもしれない。
話によると、まだ小さな子ネコのうちに人間に抱かれて安心して寝るような経験が無いまま成猫になってしまうと抱っこは難しいそうだ。
子ネコの時期に地域ネコとしてワイルドかつハングリーに過ごした(
可能性がある)
オコエにとって人間に抱っこされるのは、
極端に環境が変わる時だけだったかもしれない。
誰かに抱かれ「この子飼いたい!」と知らぬ家に連れられたかもしれない時。
「ウチはペット禁止なのよ!」と再び捨てられたかもしれない時。
里親さんに保護された時。
去勢手術を受けるためにキャリーに入れられた時。
手術を受ける時。
譲渡会へ向かうため再びキャリーに入れられた時。
そして、我が家へ来た時。
我が家に来てからも爪を切る時と、
年に一度の定期検診の時には抱き抱えられる。
オコエは爪切りを察知すると隠れてしまうが、行き先がテーブル前なら観念して懇願するような切ない鳴き声を上げる。
行き先にキャリーが置いてあると大暴れで抵抗し、入れられてしまうと今度は大いに鳴き叫び、出してくれと懇願する。移動の道々でも時折悲嘆にくれたように「泣く」。
病院に着いてキャリーから引っ張り出されると見知らぬ診察室に目をまん丸く見開いて固まってしまう。しかも決まってワクチン注射をされる。血液検査の採血もされる。
先生にはいつも「静かにしていてエラい子ですね。」と褒められるが恐怖で固まっているだけだ。
もう抱っこをされても環境は変わらないよ、と伝えてあげたいが、なにせネコなので話して納得してもらうワケにもいかず。あぐらの上に登ってきた時に、そっと下から手で支え持って足を抜いてみて、アリバイ的に抱っこ状態にしてみるなどのチャレンジをする。
バレるとパっと飛び降りてナーン!と不満を訴える。
ここまで臆病なのは
オコエだけかもしれないが、
とかくネコというものは一般的に環境の変化が苦手だそうだ。慣れるのだって1〜2週間では無理だろう。
また、小さな子供がいる家でカワイ
イカワイイと忙しなく愛玩されるのもネコにとっては迷惑だろう。
それを見極めるのが譲渡会とトライアウトだ。里親さんは引き取り手にネコを飼う程度の経済力があるのか。また犬のようには懐きづらいネコを飼う覚悟や忍耐力があるのか。ネコとの相性は良いか。などなどを審査する。
また、ネコを虐殺して楽しむような精神異常者では無いのかもクドいほど確認される。
しかし、譲渡会と里親さんとの関係は面倒臭いだけではない。ネコを飼ったことの無い人にとって、里親さんは良い相談相手になる。私もエサの相談や爪切りを里親さんに教わった。
譲渡会や審査、トライアウトの無い「ねこホーダイ」はネコを飼うハードルを下げるかもしれない。そのかわり、ネコが死ぬ確率は爆アゲしてしまう。
ネコの殺処分を少なくするために、ネコの引き取り機会を増やせば良いというのは真っ当な手段だと思えるかもしれない。しかし、飼う「資格」の無い人々への譲渡をしてしまいもする。
死んでしまうか、死にはしなくとも体を壊し入院してしまう確率の高い高齢者は残念ながら良い「飼い主」にはなれないだろう。
一人暮らしの人も、急な残業や事故、病気になった場合に、家に上がってトイレの掃除をしたりエサをあげたり出来る人がいなければ、やはり良い「飼い主」にはなれない。
加えて「ねこホーダイ」は精神異常者への譲渡を安易と許してしまう。
「ねこホーダイ」を利用してネコを飼ってはみたものの、性格的および生活的にネコが飼えないことを知った人は、制度を利用しネコを返せる。しかし、その環境の変化がネコに与えるストレスは、ネコそれぞれの性格にもよるだろうが、ネコの本質的な性格を鑑みれば小さなものではないハズだ。
それでも「ねこホーダイ」をきっかけにネコを飼い、ネコの幸せを叶える飼い主が現れるかもしれない。ただ、おそらく。そんな飼い主候補は「ねこホーダイ」を利用しないだろう。
そんな飼い主候補がほんの少しでも「ねこホーダイ」のシステムを考えれば、これほど危険かつザルでいい加減で無責任なものに加担しようとは思わないからだ。
以上のことから見ても「ねこホーダイ」がネコの殺処分数を下げたり、幸せなネコを増やすのに、トイレに落ちている陰毛ほどの価値すら無いことが解る。
代わりにネコの虐待死やストレスによる死亡、病死、外に逃がしてしまうなどなどのマイナス要素が上がる。
「ねこホーダイ」はたった1匹のネコも幸せにはしない。