人間皆殺し!『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』

アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』IMAXレーザー、HFR、3Dで鑑賞
 
2009年のヒット作『アバター』の続編。
 
13年の月日の経過は映像技術を格段に飛躍させ、当時ですでにハイエンドな映像美を魅せていたが、新作ではその解像度が更に上がっている。クリアな空気や海の中を行き交う異星の動植物の様子は、さながらハイビジョンの世界遺産めぐり番組のようである。
また、3D表現についてもメガネにサングラスのような色がついているために画面が暗くなるという欠点を、パキパキに晴れた空や海の中を舞台にしたり、暗い場所では発光する生物を浮遊させるなどで克服している。
加えてHFR(ハイ・フレーム・レート、通常の映画が1秒24コマ、テレビが1秒30コマのところ、1秒48コマで撮影・上映)は、裸眼で動くものを見ている感覚に近づき、IMAXの高解像度と3Dの奥行き表現との相乗効果で、結果「なんかゴミが浮いているなあ。」と思ったら劇中のバクテリアや火の粉だったり、スクリーンの前を無神経に通る客かと思ったら登場人物だったりと、今までの「映画鑑賞」とは全く違った「体験」になる。
そのフォーマットで異星の奇怪な動物や宇宙人の生活を覗き見るのは、なかなか興味深いものがある。
 
キャメロンが想定したフルスペックでの鑑賞は総額3,000円(鑑賞料金1,900円+IMAX代600円+HFR代400円+3Dメガネ100円)で、「映画鑑賞」としては高めだが上映時間は3時間12分あり、1時間約1,000円になる。53分の「ひつじのショーン」新作が1,600円なのを鑑みれば、妥当な値段と言えるだろう。
 
で、その「体験」で描かれた中身である。
 
話としては、前作同様の白人酋長アクション劇で至極単純なものだ。ただ、13年前の映画のことなど誰も覚えてはいないだろうと踏んだキャメロンは、改めて長い時間をかけ、もう一度観客に2つのことを印象付けていく。パンドラの自然の豊かさと開拓側の人間の非道さだ。
 
ただ、前作と同じ森を紹介していくのは芸が無いので舞台のメインは海へ移されている。
地球で行われた様な大規模開拓をしなかった原住民「ナヴィ」たちが住むパンドラは、手付かずの自然を多く残している。海には数えきれない種類の魚が泳ぎまわっている。その大自然の中で登場人物たちが生活する様子を、長〜〜い時間をかけて見せることで、観客に「パンドラの平凡な日常」を体験させていく。
この場面が「退屈」だと言う人がいるのは、それが「見慣れた光景」になるまで刷り込まれた結果で、意図的なものだ。とはいえ、全く知らない世界を隈なく「体験」するのは楽しいものでもある。
そして、その豊かさの対比として人間による原住民の蹂躙や非道な開拓を差し込み、観客にストレスを加えていく。これが後半に俄然効いてくる。
 
自らもアバターに意識をダウンロードした敵役クオリッチと巨大捕鯨船乗組員 対 子供4人を捕らわれたジェイクと海の部族メトカイナの戦士たちの決戦は、地の利を生かしたナヴィたちの攻撃により、一方的にジャカスカ人間たちが殺されていく。
加えて、かつて人間に群れを殺された生き残りで、その責任を被り「殺し屋」の異名をつけられたクジラ状の巨大海洋生物「トゥルクン」は、動物らしい容赦無い体当たりで人間を圧死させ、ワイヤーをからめ取り人間を切断していく。
これら近年稀に見る景気の良いボディカウントを、キャメロンらしい見事なアクション設計で魅せていく。
 
前置き無しにこの大量虐殺を見せられたらドン引き間違い無しだが、上映時間の大半をかけて「豊かな自然」と「人間の非道さ」を刷り込まれた観客にとって、虐殺さえ気分の良いものにしている。
「自然はイイもんですね! ナヴィたちは自然と融合した豊かな暮らしですね! それに比べて人間はヒッドイよね! ホント酷いよね!」と刷り込まれて刷り込まれて、刷り込みまくられた観客はもはや楽しむ他なく「イヤッホーイ! 人間しねー!」と歓声を上げる。
 
そして、映画館を出ると、湿気た冷たい空気の中で青くもヒョロ長くもない自身の姿に愕然とする他なくなるのだ。