いきがかり上、 組員が4人しかいない弱小ヤクザの組長に収まった女子高生の星泉 。しかし就任早々ドラッグをめぐるトラブルに巻き込まれ、 組員2人が殺されてしまう。 復讐の殴り込みに向かう相手事務所のエレベーターの中。 おしっこしたいと言う政に帰ってもイイぞと佐久間が気遣う。「 イヤや!生きるも死ぬもアニキと一緒や!」 泉は佐久間を見つめる政のただならぬ熱く艶っぽい目線に気づく。
「おたく、ひょっとしてクルージング?」
1980年公開のアル・ パチーノ主演作でゲイばかりを狙った連続殺人鬼を追うためにハー ド・ゲイのクルージング・バー(ハッテン場)に潜入した刑事が、 思いのほか性に合って苦悩する。という映画『クルージング』 から「ゲイ」と言う代わりに使ったのであろう。
当時の言語感覚でストレートに表現すると「ホモ」 になるのだろうが、現在でもゲイと直接意味を共有しない「 クルージング」を使い、かえって普遍性を持たせてしまうあたり、 相米監督らしい天才的な偶然と言えるだろう。
また、本作以前にもブロマンス的な意味で、たとえば「『 昭和残俠伝』は高倉健と池部良のBLだ!」といった、 名言されていない故に存在する「バッファ」 から生まれた妄想遊びのような解釈はあったが、 奇妙で滑稽な女装をさせず、コミカルな意味も持たせず、 自然にゲイ男性ヤクザを登場させているのも見事な先見性である。
さて。ここで気になるのは政の心境である。
泉の指摘を受けて、 佐久間が政との刑務所での出会いを回想していることから、 当時から好意を持たれていた事を佐久間自身も知っていたのだろう 。しかしセクシャリティの違いから愛し合う仲にはなれず、 しかしヤクザの「兄弟の契り」を結んだ。
つまり、政は最愛の佐久間の隣に居ながら、 自分が望んだ形での愛の成就は絶対に叶わないという契約がされた ようなものだ。
しかし、 それでも政はそれなりの満足をしていたのではないだろうか?
最愛の人が視界の中にいて。何かの拍子にフと触れ合い。向こうは何も思っていないが、自分は勝手に昂っている。そんな日々。
私自身が思ったようには懐いてくれない愛猫オコエの世話をしながら、政の報われず、成就しない、しかし充実した愛の日々を重ねる。