キングになったジョーカー 〜『ジョーカー』マレー・フランクリンの人生〜

映画『ジョーカー』。

 
ピエロのバイトで食い繋ぐ、売れないコメディアンのアーサー。人気コメディアンであるマレー・フランクリンの番組で、ダダ滑りする舞台での様子がビデオ放映されバカにされる。その上、さらにバカにし倒すため番組に呼ばれる。しかし「ジョーカー」となったアーサーは生放送中に社会の不条理をまくしたて、その象徴としてマレーを射殺する。
 
マレー・フランクリン役へのロバート・デ・ニーロの起用は、かつてマーティン・スコセッシ監督作『キング・オブ・コメディ』でデ・ニーロ自身が演じたコメディアン「ルパート」を連想させるためであろう。
『キング・オブ・コメディ』は誇大妄想狂の売れないコメディアンのルパートが人気コメディアンを誘拐してテレビ番組に出演を果たす、という『ジョーカー』を強く思わせる作品だ。
 
つまり『ジョーカー』のマレーには『キング・オブ・コメディ』での「売れない過去」も含ませている。では「キング」となったルパート:マレーはいかに「キング」であり続けたのだろうか?
『ジョーカー』本編でのアーサーへの仕打ちから推測するに次々と「弱い者」を見つけ、視聴者(つまりは別の弱い者)ルサンチマンの吐け口を作り続けるという手段ではなかったろうか。
 
そもそも。宮廷道化師(クラウン/ピエロ/つまりはジョーカー)は、貴族や王族(キング)に仕え、時に批判も辞さずに彼らを楽しませる、という役割を持っていた。なので自分を雇うパトロンと、せいぜいパトロンの家族を楽しませれば良かった。しかし現在の道化師:コメディアンは多くの大衆を相手にしなければならない。
ただ、幸い現在のパトロンである「多くの大衆」はコメディアンを「雇っている」という意識は無く、逆に有名人として偶像視している。また「多くの大衆」の嗜好や趣味は多種多様だが総じて陽動されやすい。そこで、偶像性を駆使し多くの大衆の旗手として先頭に立ち、ブッ叩いていい奴を名指しして回り「キング」であり続けた。
 
偶像視されたマレーは自分の弱さを忘れ、やがて批判する者がいない「キング」となり、弱者を晒しあげ続けた。
 
最近、そんな人の活躍を見かける。