小野寺系は今日も意味が無い 〜『カンフー・ヨガ』篇〜


長年の危険な撮影における蓄積した負傷や肉体の酷使によって、ジャッキーは満身創痍の状態にあるという。慢性的な身体の痛み、加齢。限界を悟ったジャッキーは、ロバート・デ・ニーロのような演技派への転向を目指しているというが、やはり観客の多くが期待してしまうのはアクションである。
〜中略〜
そんななか、中国・インド合作映画である本作『カンフー・ヨガは、近年のジャッキー作品のなかでも肩の力を抜き、絶妙な軽さのストーリーとともに見事に娯楽表現を結実させている。おとそ気分で正月に観るにはもってこいのおおらかさを持った、しかし侮れない深さもある作品となった。

 

 

えー…………
 
日本のジャッキー・チェンのファンにとって去年はとんでもない1年(出演作が1年で4本公開)だったんだけど知らなかった、というか2000年代以降のジャッキー・チェンの動向や言動を全く知らないとしか言いようの無い文章で始まる。
一応グーグル検索かけたのかジャッキーの引退宣言(『ライジング・ドラゴン』の時)から「デ・ニーロになりたい!」を引用してみせもするが、90年代後半あたりからジャッキーは作品を撮り終えてキャンペーンに出るたびに「これで引退!」宣言を繰り返していたのは周知の通り。
また、ハリウッド進出を果たしたあたりから「軽妙な軽さ」には事欠かない作品が並んでいもするんだが、ジャッキーがスピルバーグ邸に招かれた際の話などからめると解りやすいんだけど、小野寺は徹底的に映画に興味が無いので、そんな気の効いたことは出来なかったようだ。
 

本作の物語は、アクションシーンの撮影中にジャッキーの頭蓋骨が陥没するという大事故が起きた『サンダーアーム/龍兄虎弟』を含めた「アジアの鷹」シリーズを彷彿とさせる、「宝探し映画」だ。

 

 
本作はジャッキー・チェン2005年の主演作『THE MYTH/神話』の考古学者「ジャック」を主人公とした続編である。
この『THE MYTH/神話』には元々インド映画のトップ女優、アイシュワリヤー・ラーイに出演依頼があったが、彼女が依頼を断ったためにインド映画界の“セクシー・女優”枠(別にAVに出ているワケではないけど)マリカ・シュラワットが出演を果たしている。と、インドとの親和性が高いシリーズ(『カンフー・ヨガ』で2作目だけど)なのだが、もちろん知らなかったようである。
 
 私は数年前、上海など中国のいくつかの都市を見てきたが、どこも好景気に沸いていて、古い建物を壊し、新しい建造物の工事が至るところで行われているのを目にしている。ひとつ気になったのは、高級貴金属店やブランド品店など、いかにも金が集まりそうな最先端の場所では、中国独自の文化ではなく、西洋的な価値観に支配されていると感じた点だ。ジャ・ジャンクー監督が『山河ノスタルジア』で問題として描いていたように、古来からの文化を伝える「古い中国」と、西洋的な文化に浸食された「新しい中国」は、かなりの部分で分断されているように思われる。
 そんな西洋と東洋の価値観を結び付けるのが、ジャッキー・チェンという存在ではないだろうか。
 
!!!今日もでました!!! 言やぁイイってもんじゃないよwww
まず。中国国内の古い文化と外来文化の分断を枕に、ジャッキー・チェンがその橋渡しをするってのは、もう全く意味が解らないwww してないしwww 「ジャ・ジャンクー」とか言いたいだけじゃんwww
 
彼の内にある「カンフー」、そしてその魅力を世界に発信する映画という表現方法のなかで、画面に映えるよう美しく、ユーモアを多分に含みながら見せるという技術の蓄積は、まさに西洋と東洋との出会いであり、無形の世界的財産である。
本作は宝を探す映画だが、「本当の宝」として描かれているのは、ジャッキーの技術そのものだったのだ。そしてそれは、ブルース・リーなどの先人からもたらされたものでもある。その宝はまた、多くの後進に引き継がれ、後世に伝えられていく…。

 

 
ジャッキーのカンフーが「古い文化」で、それを見せる技術が「西洋文化」って、映画技術や映画芸術全般を「西洋」のものとするって傲慢すぎでしょうwww ショウブラやゴールデン・ハーベストの功績なしかよwww 
それに、カンフー映画(格闘シーン)の見せ方の進化って、ジャッキー始めとして、ドニー・イェン組、サモハン組などの凄まじい考察と実験の積み重ねによって出来ていて、例えば。
全盛期のジャッキーが長めのボブヘアーにしていたのは、殴られる場面で髪の毛で動きを出すためだし、格闘場面がたいがい場末の汚い場所で行われるのは舞い散るホコリで動きを表現するため。ドニーはカメラ位置に対して殴る方向を変えてるし、サモハンはフルコンタクトで凄まじい臨場感を出している。
それらを「西洋文化」とするには、あまりに「西洋」関係無いwww
小野寺の、この当該文章は本当に酷くて、本来ならこういったオモテに見えない独自の努力を汲んで表沙汰にすることこそ映画についての文章を書く人の役割だと思うんだが、小野寺は自説に合うように事実をねじ曲げ、その努力を見当違いな相手に与えてしまう。

★今日の小野寺系
今回は「ジャッキーは西洋と東洋の橋渡しをしている」という自説ありきで、それまでの香港映画の歴史を全て「西洋のもの」に塗りつぶすという、小野寺の悪癖の中でも最悪な1つ「自説を通すために映画や事実をネジ曲げる」が出た極めて悪質な文章である。
 
ちなみに『カンフー・ヨガは老若男女全てを楽しませるという野放図な目的を達成させてしまう、とんでもない映画で、特にラストの幸せな驚天動地は劇場で体験するに値する名場面だ。この場面のためだけに『オーム・シャンティ・オーム 恋する輪廻』監督のファラー・カーンが招集されているのも納得なので、劇場公開されているウチに、ぜひ体験して欲しい。
そうすれば「まさに西洋と東洋との出会いであり、無形の世界的財産である。」なんていう文章が、ネズミの家族計画ほどの価値も無いことに気づくであろう。