『ベネデッタ』鑑賞。
どの業界でもそうなのかもしれないが、 私のいるデザイン業界では大なり小なり胡散臭い人物と付き合うハ メになる。
とある大手玩具メーカーと仕事をしていた頃にいたデザイン事務所 では、初老の仲介役がそうだった。大ヒットした玩具はおおむね「 あぁ、あれはオレが持ち込んだ企画だ。」と鼻を穴を広げ、 当時まだ若かったコワッパの私を見下すように言ったものだ。
最初の内こそ「はぁ、そうなんですか。」 と別に反論する知識も情報も無いので素直に感心していたが、 なんぼなんでも何から何まで「オレが持ち込んだ」仕事だらけで、 流石にいぶかしみ始めた。
と言い出すに至り「あぁ、この人の話は全部ウソなんだな」と腑に落ちたものである。
『ベネデッタ』だ。 ベネデッタが幼いうちに投げ込まれるように預けられた修道院は、 その神聖さとはほど遠い、金と欺瞞に溢れた場所だった。 その中で同性愛者としてのセクシャリティに目覚め、 そのリビドーに従順に従っていたら、 何だかメキメキと出世を果たす。という性欲版「無責任男」 のような話だ。
そのベネデッタを描いたのがポール・バーホーベンだ。
また、バーホーベンはベネデッタの“奇跡”を必ず写さない。 聖痕が現れる瞬間、必ずカメラはそっぽを向いている。 その一方でベネデッタが見たと言うキリストとの出会いは克明に描 いていく。キリストが悪人をバッタバッタと切り倒し、 ベネデッタを抱き寄せキスまでする。
つまり、バーホーベンはベネデッタにガッチリ肩を組んで寄り添い、その“犯行” の手助けをしていると言えるだろう。
そうやって描くのは教会のたかり体質と腐敗だ。まず、ベネデッタの受け入れの持参金を競売のようにセリ上げる院長に始まり、聖痕が現れたと嘯くベネデッタを利用して収益アップと出世を狙う教区長。ペスト流行の中、愛人に子供を孕ませたことを隠そうともしない教皇大使。
彼らが対峙するベネデッタは、性に目覚めたものの神への愛も持ったまま、幻視と度胸と行動力で齟齬をうっちゃり続けていく。そして、共犯者バーホーベンはその様子を爽快感をもって描き、見事な快作として纏め上げているのである。
ちなみに。前出の自称ヒット作だいたい絡んでる仲介役は、実際に仕事を事務所にそうとう落としていった実績もあって、役員たちも軒並み頭の上がらない存在であった。